幼少-2005年の成績
2005-06シーズンの成績
2006-07シーズンの成績
2000-07までの 順位と詳細
幼少-2005年
5才の時、友人に誘われ初めてスケート靴を履き、姉の舞とともに門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会、同クラブには安藤美姫がいた。
小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら女子史上初(非公式)の3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3フリップ+3ループ+3トウループ)を跳び「天才少女」と呼ばれた。
2000-01シーズンから2003-04シーズンまでの全日本ノービス選手権で優勝。
2004-05シーズンからジュニアの国際大会にデビュー。全日本ジュニア選手権でも初優勝を飾り、シニアクラスの全日本選手権では、日本女子選手としては伊藤みどり、中野友加里に次ぐ3人目となるトリプルアクセルを成功させ、2位で初の表彰台に上る。
世界ジュニア選手権では優勝を果たした。
2005-06シーズン
シニアの国際大会にデビューとなる、初戦のGPシリーズ中国杯では2位、2戦目となるエリック・ボンパール杯(フランス杯)ではシニアの国際大会初優勝を飾り、GPファイナルの出場を決める。同年のGPファイナルでは、日本人及び日本女子選手として村主章枝以来2人目の優勝を飾った。
全日本選手権では、未公認ながらフリーで女子シングル史上初となる2回のトリプルアクセルを成功させるが後半のジャンプでミスがあり2位。
連覇が期待された世界ジュニア選手権はジャンプのミスが響き、2位に終わった。
2006-07シーズン
2000-01シーズンから師事した山田満知子・樋口美穂子両コーチの元を離れる。
姉の舞と共に米国ロサンゼルスを拠点とし、ラファエル・アルトゥニアンコーチに師事することとなった。
GPシリーズ初戦となるスケートアメリカでは、ショート首位発進だったものの、フリーのジャンプミスが響き3位となる。
2戦目となるNHK杯では、総得点で歴代1位を記録し優勝を飾る。2年連続でGPファイナル進出を果たす。
連覇が期待されたGPファイナルでは、フリーのジャンプで2度の転倒があり、2位に終わった。
12月28・29日に地元・名古屋で開催された全日本選手権では、右手小指の骨折という怪我に見舞われながらもショート・フリー共にほぼ完璧な演技をこなし、初優勝を飾った。
世界選手権東京大会の日本代表に安藤美姫、中野友加里と共に選出された。
2007年3月の世界選手権東京大会では、ショートでコンビネーションジャンプの3回転フリップ-3回転ループのループが1回転になるミスを犯し、5位と出遅れたが、翌日のフリーではトリプルアクセルとトリプルトウループで両足着氷するも、フリーのみで133.13という高得点を記録し、銀メダルを獲得。なお世界選手権で女子がトリプルアクセルを成功させたのは、91年大会のトーニャ・ハーディング以来16年ぶりで、伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次ぎ女子で3人目となった。また133.13点は、女子フリーで世界最高記録の得点である。
2007年4月のジャパンオープンでは2度転倒するなど精彩を欠き、個人4位ながら団体優勝を飾る。
00-01
全日本ノービスBクラス 優勝
01-02
全日本ノービスBクラス 優勝
全日本ジュニア 6位
02-03
全日本ノービスAクラス 優勝
全日本ジュニア 4位
全日本選手権 7位
03-04
全日本ノービスAクラス 優勝
全日本ジュニア 4位
全日本選手権 8位
04-05
ジュニアグランプリ アメリカ大会 優勝
ジュニアグランプリ ウクライナ大会 優勝
ジュニアグランプリファイナル 優勝
全日本ジュニア 優勝
全日本選手権 2位
世界ジュニア選手権 優勝
05-06
中国カップ 2位
エリック・ボンパール杯 優勝
グランプリファイナル 優勝
全日本選手権 2位
世界ジュニア選手権 2位
2006-2007
日米対抗フィギュアスケート キャンベルカップ 2006 2006年10月15日
(オハイオ)団体1位
ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ 2006年10月26日-29日
(ハートフォード) 3位
ISUグランプリシリーズ NHK杯 2006年11月30日-12月03日
(長野) 1位
ISUグランプリファイナル 2006年12月14日-17日
(サンクトペテルブルク)2位
第75回全日本フィギュアスケート選手権 2006年12月27日-29日
(名古屋) 1位
ISU世界フィギュアスケート選手権 2007年03月19日-25日
(東京) 2位
フィギュアスケート地域別対抗戦 JAPAN OPEN 2007 2007年04月29日
(埼玉) 団体1位